インタビュー

移住者ストーリー Vol.4 (前編)

生名島移住の先輩
上島町社会福祉協議会 職員 平石美智子(ひらいし・みちこ)さん

 

島へ呼んだ、人の縁

生名橋を渡るとき、白い砂浜に映える澄んだ海が見えました。青とも緑とも言えないこのあたりの海独特の色合いが、生名島の海岸線に沿って伸びています。島の西側をずっと歩けば現在(2021年3月)建設中の岩城橋が見えてきます。その海沿いが、平石美智子さんのお気に入りの散歩コース。山歩きや岩登りをするというアウトドア好きの彼女が生名島に居を構えて2年が過ぎようとしています。

 

 

平石さんは1976年生まれ。出身は山口県岩国市です。高校を卒業してから広島のデザイン専門学校で学び、食品などのパッケージデザイナーとして印刷会社やメーカーで働きました。30代後半までデザインの仕事に打ち込んできましたが、長時間──時に深夜まで働く労働環境に疲れ退職。そんなとき社会福祉士の知人が介護の仕事を推してくれました。介護福祉士の可能性ややりがいを感じ、平石さんは介護の学校の門を叩きます。その後40歳で学校を卒業、広島市の回復期病院に就職し介護福祉士としてのスタートを切りました。

 

 

平石さんには介護専門学校で若い友人たちがいました。その中にたまたま上島町の出身者が。生名島の濱口広大さんと、岩城島の澤田美波さんです。ふたりは同級生で平石さんとは年が離れていましたが仲が良くなり、よく交流していました。「教室などでも広大くんは生まれ育った島の良さを語っていましたね。心地よい島のコミュニティのこと、友達との繋がりなど。そんなことを聞くうちに、私も島に行ってみたいと思っていたのです。」

 

 

そんなわけで学生時代に一度、みんなで岩城島に旅行し、積善山の展望台でキャンプ。初めて来た島について平石さんは、「島の中をいろいろと見て回るうちに、福祉の仕事をする上で、地域と繋がれることが羨ましいな、と思いました。都市部の病院では、利用者さんが病院に来た時にしか診られません。しかし島では介護する側の生活圏のなかに利用者さんたちがいますから、病院以外でも目を配ることができます。」その後、広島の病院を退職した平石さんに、濱口さんが声をかけました「島に来てみたら?」

 

 

―移住者ストーリー Vol.4(後編)につづく

 

[移住メモ]

生名島は上島町の玄関口立石港を擁し、佐島、弓削島、岩城島へのハブとなる島です。立石港と因島土生港をつなぐ生名フェリーは1時間に2便から6便運行されており、乗船時間はおよそ3分です。スポーツの島として知られ、マラソン大会が開催されたり、ミニバイクのサーキット場もあります。

[参考リンク]

社会福祉法人 上島町社会福祉協議会 http://www.kamijima-shakyo.or.jp

 

Text & Photo: Shuhei Miyahata [Setouchi Editorial Institute]

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